みやぎ県子ども・おやこ劇場 随想

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第10回  ネコは知っている…

当法人のワークショップに参加してオリジナル写真集を作った。

二〇〇四年秋、長男が結婚した。冬には嫁いだ長女が出産のため里帰りしていたが、 新春早々生まれたばかりの赤子を連れて婚家に戻ってしまい、わが家は三匹のネコと私たち夫婦だけになってしまった。 寂しいような肩の荷が下りたような、そんな二〇〇五年春から夏にかけての様子を写真に残そうと思った。

これまで、私の撮った写真はピンボケが多く、自分には良い写真は撮れないと思い込んでいたが、 ワークショップの先生が約七〇枚の写真を並べて見て「いいですね—」「これ、良いですヨ!」とほめてくれるのだ。

私は「えっ! これでいいの?」と内心驚きつつ、うれしくなってどんどん自分なりの写真集のイメージをつくった。 ページを決めタイトルを考え製本し仕上げ、題して『吾輩はネコである—ネコは知っているタケダ家の秘密』の完成だ。

オリジナルの一冊の本を作り上げた充実感と同時に、これまで五八年生きてきたけれど、子どもたちをどれだけほめて育てたっけかな?とちょっぴり反省させられた。 しかし、写真集づくりは実におもしろく、次はどんな写真を撮ろうかと考えはじめている。

武田 えみ子

第9回  最近思うこと

ボーっとテレビを見ていたら、自販機で購入するコマーシャルシーン。 「新発売のお茶かな?」と思いきや、なんと携帯電話でピピッ、するとガシャンと音がして…若いカップルがにこやかに飲料水を飲むシーン。 「まさか! まさか!」 そう言えば、コンビニのレジで当然のごとく携帯電話で支払いをしているコマーシャルがあった。「そうか、もう自販機でも利用できるのか」と気づくまで数秒。 「すごい! びっくり!」と大騒ぎして、側にいた娘に「なぁに、今頃」と軽くかわされ珍しくないことに気がつき唖然。 先日は、病院もインターネットを利用して、来院する前に問診を済ませることを知りびっくりしたばかりでした。

すさまじい速さで技術革新がすすみ、その仕組みが理解できぬうちに、時は刻み、動いている社会に生きていることを実感しながらも、 そのことに不安と不満を感じている自分がいます。それは、時代の流れについていけない負け惜しみではなく、自分の五感と六感が警告をしてくれるのです。

今、私たちは最新機器類と上手に付き合いながら、人と人との生の結びつき、顔色や声・表情や体の動き、触れ合い、現実と空想をキャッチする感覚など、 わが身にみつける時間と空間そして仲間が必要ではないかと。来るべき未来社会は、ロボットに仕える(?)時代ではないことを願って。

「工芸品」の素晴らしさは、想像的なオリジナル品・手づくりという点で「音楽」「演劇」「パフォーマンス」にも通じるところがあります。

代表 森 朋子

第8回 「マンサク」の花が咲く頃

枝いっぱいに変わった形状の花をつけるマンサク。

私は長い間、どんな花だろうと思っておりましたが、数年前「蕃山」の雑木林を歩いているときにその花をみつけました。 薄くて黄色い和紙を、細く切ったような花びらをひらひらさせて、ほんとに枝いっぱいに咲いておりました。 花びらの黄色と、芯の部分の赤のコントラストが、春先の色の乏しい中でとても印象に残りました。 花は葉が出る前。春一番に咲くとか、まず咲く、とか言われてますが、大きいのは一〇メートルほどにもなるようで、私が見たのもそんな高さでした。

マンサクを見かける場所はかぎられてますが、雑木林を歩くと、身体に元気が漲ります。そしてこの時期、もう咲いたか、と気になるのです。

ついでながら、「蕃山」は奥深い里山で、詳しい道標もないのですが、この道は何処にいくの?と思いながらも足を進めると、 「東風」「西風」(こち・ならい)という道標があって、はじめて歩いたときは不安でもありましたが、同行者もいることだしと、 東の方向におりたら茂庭台にでました。二度目は西に下りて栗生。

山裾の、少しひらけた場所の枯葉の中からは、カタクリが葉を見せておりました。

監事 佐藤 美津子

第7回  私にとっての「文化の香り」

今、大学も「超」忙しい。国際的競争を担うため「高度な」研究、学生サービスを求められ、やれ評価だ、やれ競争だと追い立てられている。

ストレス解消と称して、よく学生とカラオケに行く。 私の十八番は七〇年代のフォークソングだ。五つの赤い風船の「遠い世界に」、岡林信康の「山谷ブルース」など、この時代の歌詞を探しては大声で唄いまくり心地よくなる。 学生たちには、これらの歌が新鮮に響くようだ。

あの頃、学生だった僕たちは、ギターを自ら弾きながら唄っていた。 映画が封切られると名画座に行き、涙した。その後は喫茶店で余韻を楽しむ。 ちょうど、一番町の文化横丁あたりが、たむろする居場所だった。気がつくともう夕方。そして文化横丁の飲み屋に消えていく。

私の「文化の香り」とは、「文化横丁」あたりの「匂い」なのだ。

いま、七〇年代、八〇年代の音楽がカバーされ、テレビ・ラジオに流れるのを聴く機会がふえている。 この時代に青春を過ごした世代のノスタルジアというだけではなく、これらの歌の旋律や歌詞の健全さが若い世代にも広く受け入れられているのがうれしい。

理事・高橋 満

第6回  時には「明かり」を消して

早春のある日、ふらりと美術館に寄ってみた。「中国・東南アジア少数民族の染織展」をやっていた。異空間に迷い込んだような気がした。

それらの布は、素材から気の遠くなるような時間をかけ「当たり前の事」として作られ、日常的に慣れ親しむ生活に根ざしたものだった。子どもの頃から織り始めるため、何も見なくても創れるのだという。

技術はもちろん、色合いも美しく、布が「オーラ」を発していた。自分はこれまで何をしてきたのだろうと立ちすくんでしまった。

私は、「蝋」という素材に関わってキャンドルを作り二〇年が過ぎた。「蝋」は面白いがなかなか手ごわい。溶けるまで、固まるまでと待たされ続ける。 作品になるにはタイミングが重要なのだが、それは蝋自身が決める。だからその過程は、効率的にはことが運ばない。 つくり手と素材が本来持っている固有のリズムに合わなければいけない。

出来上がったキャンドルに明かりを点し「炎」を眺める。すると、知らずに心の奥に押し込んでしまったことや、忘れかけていた想いがふわりと浮かんでくる。時間の流れが柔らかく、ゆるやかに感じられる。私はそれらの魅力にとりつかれ、あと一〇年、まだ止めることなく創り続けるだろう。

時には電気を消して、ローソクの「灯り」で過ごしてみるのはどうだろうか。

理事・阿部 笙子