みやぎ県子ども・おやこ劇場 随想

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第20回 父からの贈り物

二年前の夏、父は病気のため64歳で他界した。最近は少しずつ父の肉声や手に触れた時の感触が薄れていくことを寂しいと感じていた。 それと同時に、記憶に刻まれた父の温かい思い出が色鮮やかによみがえる時がある。その時、私は優しく包み込まれるような温かな思いをしっかりと感じるのだ。 この感覚は過去からやってきているように思う。

父はとても子煩悩で愛情深い人だった。そばにいると安心して、心からくつろいでいられた。 話しかければいつも笑顔を返してくれた。自分が母となって思うのだが、いつでも子どもに優しく接するのは容易ではない。 父も仕事で疲れていた時もあっただろうに、どんな時も私を受け入れてくれた。父は私の存在そのものを喜びとしていたように思う。

対照的に母は何かと私に期待して「もっともっと頑張れ」という激励型の人だった。それはただ私を疲弊させた。子どもにとって、どちらの愛情が嬉しいのかは明白だろう。

何の条件もなく、子どもへ愛情をたっぷりと注ぐこと。親から子どもへの最大の贈り物は「自分は深く愛された」という揺るぎない思いを子の心に根付かせることではないのか。 昨今の競争社会は親を焦らせる色眼鏡をばら撒いてばかりだが、時代に迷うことなく同じ思いを我が子に繋ぐことが私の使命だと思っている。

鈴木 良恵

第19回 息子自慢

高校二年の息子がいます。芝居の稽古が終わって家に帰るのが午前一時ごろ。 呑んじゃうと三時ごろ。彼の部屋のドアの隙間からはいつも明かりが漏れています。 受験勉強のようです。けっこうまじめな息子です。カチッと音がして、ドアの隙間が真っ黒になると、 とてもホッとします。「すまないなぁ、こんな時代で…いや、こんな親で。」と心の中でつぶやきます。

私は山形県、妻は青森県出身。故郷を捨てた夫婦だし、財産とか持ち家とか、遺産とか、きっと何も残してやれない。 あと数年で彼はとりあえず社会にでるわけです。友だちとか彼女とか、いるのかな? と心配です。 勉強なんかよりもっと大切なものをみつける時期なんだよ。といいたいのですが、そんな甘い言葉は日々の彼のがんばりをみたら申し訳なくていえません。 いつか破綻して、親父をぶん殴って、不良にでもなってくれたら、ホッとするのですが。

彼が小さい頃、一緒に遊んだ記憶は少ない。後悔です。そのとき私は演劇で、よその子供達と遊んでいたのです。 仕事とはいえ彼は嫉妬していたことでしょう。仙南地域の児童劇団AZ9ジュニア・アクターズでの芝居づくりも、関わってきて今年で十二年目です。 今週末も仙南の子供たちとワイワイやっています。すみません、父さんだけ楽しくて。老後には遊んでくださいね、私の自慢の息子よ!

世のお父様方、まずは加減のいいところで仕事を切り上げて、早く家に帰ってもっと子どもと遊びましょうか。 もし遊び方に戸惑ったら、どこかの演劇教室に親子で飛び込んでみるのもいいでしょう。けっこう遊べます。

米澤 牛 駄目 親父より

第18回  頼れる味方「絵本」

 現在一歳八ヶ月になる息子がいるが、かなりおしゃべりである。オウムのように ことばを取得し、変なことばもコピーされ、反省することが多々ある。痛切に感 じるのは自分の語彙力のなさである。「お花きれいだね」「ワンワンかわいいね 」など、いつも同じことしか話しかけてやれない。もう少し気の利いたことばを 、と思うのだが難しい。

 子どものことばの力は、親のそれ(・・)にかかっている・・・そんな脅迫観念にとらわれてしまう。 こんな時、我が家の頼れる味方は絵本である。帰宅するなり息子はお気に入りの絵本を持ってきて読めとせがむ。 ひざに乗せて、ほおを寄せて絵本(毎回同じ)を読む。お気に入りのフレーズは一 緒に連呼し、切ない箇所ではしんみりし、おかしな場面ではニヤっと笑う。そし て最後のページがくると、必死の形相で「もいっかいよむ?」と迫る。

 子どもを持つ前は、読み聞かせをして下さる方々の上手な語り口に、自分にはとうていで きないと思っていた。しかし真剣に聞いている姿を見ると、下手だからなどとは 言ってられず、どんなに疲れていても、読んでやらねばと思う。絵本には、心地 良いことばや面白いことば、そして当たりまえのことばが沢山詰まっている。それを利用しない手はないのである。

 当館で夏休み期間に開催している「こども文学館えほんのひろば」では、子ども の気持ちを知り尽くした方々のお話会があり、ゆっくり絵本が読めるスペースも ある。また「初めての読み聞かせ講座」も開催する。読み聞かせに腰が引けてい る親御さんたちに、是非一度遊びにきていただきたい。決して難しいことではな く、読んであげたいという気持ちが大切なのだということに気づいていただける と思う。

仙台文学館 渡部直子

第17回  『手ぶくろを買いに』をめぐって

今年も、「絵本ワールド」がやってくる。子どもも大きくなった今、私はもっぱら自分のための絵本を楽しんでいるのだが。 さて、(子どもだった)私にとっての<この一冊>をあげるなら、新美南吉の『手ぶくろを買いに』だろう。確か小学校の教科書にあった。

母さんギツネによくよく言いふくめられ、子ギツネはドキドキしながら、小さな手に銅貨をしっかりとにぎりしめ、手ぶくろを買いにいざ町へ。 今でも真っ先に思いうかぶのは、戸が開いた瞬間、子ギツネの目にとびこんできたまばゆい程の光。思わず私も目をつぶる。

幸いにも、帽子屋のおじさんはちゃんと子ギツネに手ぶくろを渡してくれた。人も動物もへだてのない時代だったのか? それとも、お金が本物だったので、おじさんには人でもキツネでもよかったというだけのことなのか。 私の記憶の中のこの物語は、こちらの勝手な思い入れも加わって、原作とは細部が少し違っている。 言わば自分だけが読むことのできる、個人的な記憶の一冊。

それならば、と当の絵本にあたってみたら、おしまいは母さんギツネのこんなつぶやきでしめくくられていた。
「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」
はてさて、何と答えたものだろう。

藤 良子

第16回  息子の結婚

来春、長男が結婚する。
今では父より広い背中を持つようになった彼が、 「俺たち育ててき て、やり残したこと、後悔していることってある?」と聞いてきた。 ない、と言えば嘘になる。今でも後悔し続けていることがある。

まだ、長男が四歳、次男が二歳の時のこと。 二段ベッドを購入し、両 親とは別室で寝ることになった二人を寝かしつけていたある夜、ふと、母を思い出した。 貧しい農村部では絵本は手に入らず、よく童謡を歌ってくれた。嬉しくて、いくつもいくつも覚えたものだった。

その晩から、子守唄代わりに童謡を歌う。ところがある晩、その日に限って二人は寝付かず、私は延々と歌い続け、 彼らは嬉々として布団の上にお座りして聞いている。「あなたたち、どうして寝ないの。お母さん疲れたよ。 もう、あなたたちのお母さんやめようかな。」と、爆弾発言。すると、その日ばかりか毎晩寝る前に、 長男が「お母さん、僕のお母さんやめないよね。」と聞くようになってしまった。胸をつかれる。 思わず二人を抱き、「ごめんね。」と謝るが、子等が受けた傷の深さが悔やまれた。

後々まで兄弟で、 寝る前に母がいることを確認していた、と長男。その話の後で、 「お母さんの声、特別なんだよね。気持ちいい。」と口に したので、ドキッとした。 今、息子に宛てて長い長い手紙を書き始めた。母であることの感謝を込めて。

理事  小鷹 和代